
「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」
DVD発売中
http://www.kadokawa-ent.co.jp/detail/AEBD-10050.html
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1912年広島県生まれ。
34年、新興キネマ京都撮影所の現像部に入社、その後美術部に転籍する。この頃から撮影台本を手本に自己流でシナリオを書き始める。

37年、溝口の監督する「愛怨峡」に美術助手として参加、初めて溝口演出にふれ、その気迫に驚き感銘する。41年、溝口が松竹で「元禄忠臣蔵」を撮ることになり、美術監督に起用された水谷浩に誘われ、新興在籍のまま建築監督として参加。溝口の徹底した時代考証のセットづくりに従い、過酷な現場を体験する。

その後、改めてシナリオの勉強をし直そうと決意し、溝口に師事、あるオリジナルを提出するが、「これはシナリオではありません、ストーリーです」という酷評を突きつけられる。これに奮起し、更に勉強を重ね、ついに43年国民映画脚本公選に当選を果たす。

溝口作品で新藤が脚本を務めたのは「女性の勝利」(46年)、「わが恋は燃えぬ」(49年、依田義賢との共同執筆)の2作品のみ。
溝口の死後、田中絹代、京マチ子、若尾文子、依田義賢、入江たか子、永田雅一、増村保造、宮川一夫他、溝口健二ゆかりの39人のキャスト・スタッフを徹底的にインタビューし、「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」というドキュメンタリー映画を75年に発表、この日本映画の巨大な遺産を余すところなく後世に伝える。
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